五十嵐 清隆 Feed

タイトル雑色てすが色の話しではありません。
先日、夕暮れの雑色を訪れました。ぞうしきと読みます。極たまに訪れる街ですが心に出来た隙間を埋めてくれるような独特の空気感を持った街です。
ホームに立つと快速電車が風圧を感じるほどギリギリを走り去り、商店街のお肉屋さんにはコロッケやウズラ串が並び、そのお隣りでは鉢巻きのお兄さんが焼き鳥を焼いています。どこかで見たような懐かしさのある光景です。この懐かしさはどこか来るのかと考えているうちにハタと気付いたことがあります。
私が少年期を過ごした昭和40年後半では生活のかなりの部分が知り合いで成立していました。
八百屋さんもお肉屋さんも魚屋さんも味噌屋さんも牛乳屋さんも酒屋さんも靴屋さんもラッパを吹いて廻って来る豆腐屋さんも駄菓子屋さんも皆知り合いでした。今と比べると何も無い時代で世界などは遥か遠くにあるものでしたが、生活において生の人付き合いが濃厚で皆が助け合って生きていたのかなと思います。今よりも大人が大人であった気がします。地に足が着いていたとも言えます。
全ての国民に幸福を追求する権利があることは日本国憲法13条が国に命じ保証するところです。しかし実際にはこの資本主義下では競争に勝たないと幸福にはなれません。求める権利はあっても捥ぎ取らないと自分のものにはなりません。はやりの自己責任です。幸せは勝利の向こう側にあるわけです。
お母さんが幼い我が子を見る目はなぜあんなにも慈愛に満ちているのでしょう。そんな目で全ての人が全ての人を見ることが出来れば、全ての人が幸福になる社会が実現するのでしょうか。そうではない、捥ぎ取らなければダメだとつい考えてしまうのは、誰かが決めたこの世界のルールにドップリと浸かってしまい思考停止しているからだと考えるのは少なくとも半分は正解なのでしょう。
人生の目標をどこに置くかは状況、思い、年齢によって大きく変わります。地に足を着け思考を再開し自分なりの答えを見つけ後は堂々と生きて行きたいものです。 
しばらくは永遠に来ないであろう勝利を目指して右に行ってつまずき左に行ってぶつかりながら肩肘張って生きるしかないのでしょう。そんな毎日を楽しむのがきっと人生なのでしょうね。なんか弱者の言い訳みたいになってしまいました。

NENGOに入社して5年が経ちました。朝礼で「おめでとう」などというありがたい言葉を頂きました。
5年前に50歳を超えての転職に周りからはやめた方が良いのではと散々言われましたが、なかなかの鉄の意志は考えを覆すことはありませんでした。
まだまだ答えを求めるのは早いですね。問いを求め続ける。そんな気がします。
NENGOは若い会社で自分の子供と同世代が多く、そのため必然的に私が残念な感じで目立ってしまっているかなと感じますが意識過剰でしょうか。若い皆が夜遅くまで頑張って仕事をしている姿からは勇気をもらえます。ありがたいことです。まだまだ頑張れる気がします。
社会人としては後半戦になりました。働き方について考えています。基本まだまだのつもりがベースではありますが。
先日BSNHKでルイ・アームストロングのWhata wonderful wordを聞きました。和訳は初めて読んだ気がします。当時長期化していたベトナム戦争反戦の意味が込められているそうです。とても良い歌詞です。

私には緑の木々が見える、バラの花々も私と君のために咲いているんだ、
なんてすばらしい世界だと。

私には青い空が見える、白い雲も輝き祝福された日、暗い神聖な夜。
そして一人思うんだ、なんて素晴らしい世界だと。

虹の色彩、空にあって何と可愛らしい。
行きかう人々のその顔にもあって私には友人たちが握手しているのが見える
「ごきげんいかが?」って言ってるよ
彼らは本当は言ってるんだ
「愛してます」って。

私は赤ちゃんたちの泣き声が聞こえる、彼らの成長を見守ろう
彼らはより多くを学ぶだろう、私が知るだろうことよりも。
そしてひとり思うんだ、なんて素晴らしい世界だと。

そうさ、ひとり思うんだ、なんて素晴らしい世界だと。


「努力は必ず報われると人生をもって証明します」AKB第3回総選挙での高橋みなみさんの言葉です。エンターテイメントとは言え思わず拍手したくなる若者の力強い言葉です。
2カ月遅れで開幕した今年のNPBですが、努力が実り躍進している選手がいます。そう広島カープの堂林選手です。歴戦のツバメ党の私ですが同時に野球ファンでもあり、党派を超えて応援したい物語を感じる選手がいます。その一人が堂林選手です。
高校時代はエースで4番の二刀流。夏の甲子園で優勝しています。2010年のドラフト3位でカープに入団。3年目には144試合全てに出場し14本塁打を打ちコイのプリンスと一躍人気者になります。しかしその後は成績が低迷し、カープ3連覇の時も華々しく活躍する同僚、後輩の影に隠れ1軍に定着できず、オフの優勝祝賀旅行にも参加しませんでした。昨年までの直近5年間の本塁打は3本。さぞかし悔しかったことでしょう。逆境のど真ん中です。私もこのまま終わってしまう選手なのかなと思っていたのですが、復活を期しベテランの新井選手や後輩の鈴木選手にまで教えをもらったそうです。プロ野球の世界では年齢の差は大きくなかなか後輩に教えてもらうことはないそうです。そんななりふり構わぬ努力が実り現在打率.367本塁打7本で堂々のセリーグ首位打者です。
仕事でお世話になっている昔高校野球で鳴らしたカープファンK氏に聞いたところ「やっと目覚めましたね。期待してました。これまで守備がダメで打撃にも影響してましたが、守備が安定したのが良かったですね。いや楽しみです」と熱いお話しを頂きました。
元バッファローズで通算404本塁打の中村氏も打撃一流の選手は必ず守備も上手いと言ってます。
まだシーズンは長いですが本人の発言を聞いても気の緩みはなく、何とかシーズンを通して活躍し一流の仲間入りをして欲しいと思います。
努力が大事か結果が全てか。難しい問いです。人生とは何かに通じる私達の永遠の命題です。ただ思うのですが、いきなり結果を出す天才もいますが、私達が知らないだけできっとその天才も影では血の滲むような努力をしているのでしょう。努力する姿があるからこそ感動の物語も生まれます。
こう考えると自分に足りないものが明確になります。
堂林選手の活躍に勇気を貰っています。

毎日の生活の中コロナ禍も峠を超えたかのようについ感じますが、世界的に見れば未だ感染は拡大中のようです。大勢の人がいる場所に出くわすと、自分もその中の一人でありながら恐いなと感じる奇妙な世の中になりました。これがウイズコロナ社会なのでしょうか。

コロナ禍に対する知の巨人達の見解に以前ほど触れる機会は減りましたが、歴史的に感染症が人類社会に大きな変化を与えて来たことを知りました。歴史の授業では学ばなかったことです。例えば14世紀のペストの感染拡大から「神様はいないのでは」「どうせなら楽しく生きよう」と人々が考えるようになり従来の価値観が大きく変化し現れたのがルネッサンスであり、またペストによる労働者人口の激減と労働意欲の減退で領主は持っている土地を管理しきれなくなり、労働者に土地使用方法を任せたことから生まれたのが資本主義だそうです。コレラや結核も都市インフラの近代化を促進させたそうです。今回のコロナではテレワークの普及がそれに該当するのでしょうか。

生物学の福岡伸一先生からは驚きの知見を頂きました。まるでSF映画を見るようです。私には少々難しく間違っていたら申し訳ないのですが、要約すると「顕微鏡レベルでウイルスが宿主に入る様をみると、むしろ宿主の細胞が積極的にウイルスを招き入れているかのような動きをしている。これはいったいどういうことだろうか。実はウイルスの誕生は高等生物の登場の後にある。ウイルスの起源は高等生物の遺伝子の一部が外部に飛び出したものであった。その自分たちの一部だったウイルスが何等かの原因で流れて戻って来た結果宿主はこれを迎え入れているのだ。では一体何のためにそんなことをするのか。それはおそらくウイルスが進化を加速してくれるからである。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。しかしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては種を越えてさえ伝達しうる。その運動は時に宿主に病をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして情報の交換と包摂に役立っているのだ」福岡先生の文章を越えられず途中から抜粋と写しになってしまいました。

驚くべき知識・見識です。私にここから何かを導き出せるような定見は無くただ驚くしかありません。ウイズコロナは分かりませんがウイズウイルスが当たり前のことを認識します。人込みを作ることを避け、手を洗い、マスクをするといった当たり前のことを行い、経済活動を行っていくしかありません。当たり前のそんなことしか出来ませんが、以前よく言われた正しく恐れる。そして一歩ずつ踏み出していくことが私達に課せられた使命と感じます。

コロナ自粛により遠隔ミーティングが主流になる予感があります。なぜ今までZOOMを使ってなかったのか不思議なくらいです。しかし、IT弱者の私はこの新しい時代の流れに乗ることが出来るか不安が隠し切れませんなどとは実はここだけの話しです。

自粛がテレビ界にも影響していることを感じます。このシーズンはコレといったドラマがありません。

ドラマ通の私もがっかりですが、しかし。突然占いしちゃいます的な番組が良いのです。確か8です。半端なドラマよりドラマです。バックに流れる音楽もハマっていて被占い者それぞれの人生がドラマとなって立ち上がってきます。この企画考えた人凄いです。

一方で再放送ドラマです。凪のお暇。この前の土日で6時間全部見てしまいました。来週の土日も6時間やりますがこれも全部見ます。思ったのですが良いドラマには一つ共通点があります。そう、時としてハッとする様な良い台詞が必ずあるのです。凪のお暇にもいくつもありました。「男女のすれ違いっていつだってセクシーよね」これおばあさんの台詞です。素晴らしい脚本家は詩人なのですね。尊敬します。

そんな中やはり朝ドラです。今週は勇気をもらえる予感すら満点です。

作曲家の主人公は飛躍するために自身の作曲の概念を変えなければなりません。周りの皆が気付いていますが、本人だけが未だに気付いていません。頑固にこれまでの自分に美意識を持っています。見ていてイライラするのですが、きっと気付いて早稲田大学の素晴らしい校歌を作るのでしょう。

今朝見ていて遠隔ミーティングを恐れる自分と重なりました。変わることが出来ない。しかもそれを年のせいにする。あり得ません。誰しもがコロナ後の新しい世界を前にして不安があるに違いありません。でも誰だって条件は同じです。ビビる必要なんかありませんね。あらゆることに果敢にチャレンジしましょう。立ちすくんでビクついている自分など見たくありません。

私達は歴史を体験しているのです。コロナ後にはあらゆることが急激に変化するのでしょう。明治維新や終戦の時と同じ時代の変わり目です。そんな体験が出来るのです。凄いことに違いありません。せっかくです。後世の人々に我々がやり遂げた姿を見せてやりましょう。あの時代の人達って強かったんだね、そのおかげで自分たちがいるんだねと言わせてやりましょう。

歴史の一員になれるチャンスが今ここにあります。