五十嵐 清隆 Feed

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。有名な平家物語の出だしです。これから始まる物語の壮大さを予感させる名文です。

諸行無常ですね。万物の変転は1000年前の人々も感じていたようです。変化を望まないのが人のDNAならば変化はいつの世もストレスなわけです。

さて、どうした訳なのか4月から忙しさが止まりません。うれしい悲鳴ですが忙しさの波状攻撃は心身共に消耗します。その一方でこの忙しさがいつまでも続くほど世の中が甘くないことも分かっているので、それはそれでまた消耗します。

でも負けてはいられません。ストレスを撃退します。方法は一つしかありません。

「恐れは逃げると倍になるが、立ち向かえば半分になる」チャーチル

「生きることは呼吸することではない。行動することだ」ルソー

そうです。立ち向かって行くことこそが仕事の本質です。それさえ忘れなければ乗り越えられない山などありません。ストレスとはオサラバです。

「もう一歩。いかなる時も自分は思う。もう一歩。今が一番大事なときだ。もう一歩」武者小路実篤

立ち向かうだけです。簡単です。これだけで晩のビールは美味しくなり、気持ちの良い睡眠も得られます。

常にもう一歩。忘れてはいけない私達の合言葉です。

芸術には様々なジャンルが有りますが最大の芸術は音楽であると言えます。

その音楽の中でも最大のものがベートーベンの交響曲第九番です。つまり人類が作り出した芸術は第九をもってその頂点を形成することになります。

音楽は時間と共にあると言えますね。出現した瞬間に音楽は消えてなくなります。心に残った様々な音の重なりが人の想像力を増幅させます。想像力は人固有のもので人を人たらしめているものです。やはり音楽こそが最大です。

第九のクライマックスは曲終了の瞬間にあります。壮大な90分はこの瞬間を迎えるためにあるのですが、終わる瞬間はまさに曲が終わる時で美しいものは永遠であってほしいと願うことが私達の思考であるために、逆にこの事が劇的な演出になっています。

私がつらつらと書くよりも是非改めて第九を聞いて下さい。下のURLは動画です。フラッシュモブというドッキリ的なものですが、第九の第4楽章第1主題でほぼ構成されています。曲終了の瞬間もバッチリ入っています。

それではごゆっくりお楽しみ下さい。

https://youtu.be/3lNaajK3Scc

義父が亡くなりました。平成が令和に改まった最初の日に葬儀を行いました。義母の病気を長年看病しつつ義母を残して逝ってしまいました。86才でした。

穏やかで言葉の少ない義父でした。一言で言うなら優しいお義父さんですね。微笑んでいる顔しか思い出す事が出来ません。

優しいだけの男は星の数ほどいる。何かの台詞だったでしょうか。
男は優しくて強くなければならない。強さはつまり我慢が効くということだ。これは浅田次郎のプリズンホテルの言葉です。

義父の優しさの根底には強さがありました。様々な出来事を思い返すと、どう考えてもそうとしか言いようがありません。
尊敬できる父を二人持てた私はとても運が良いと感じます。この二人の父は遥か遠く私の及ばない強い人生を送りました。追いつくことは多分出来ないでしょう。
何も言わなかった二人の父からなぜこんなにも、100の物語よりも多くを教えられるのでしょうか。

最後に宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞を義父に聞いて貰えたら嬉しく思います。
「花束を君に贈ろう 愛しい人 愛しい人 どんな言葉並べても君を讃えるには足りないから 今日は贈ろう 涙色の花束を君に」

新幹線車内です。東北から東京に帰っています。様々なことのあった面白い一日でした。今缶チューハイを買うべきか、やめて家まで我慢すべきか考えています。

司馬遼太郎は言っています。「神様は人間に二つの体質をつくったようですね。それは、お酒が飲める人と飲めない人です」

吉村昭は小説で老いた主人公にラストシーンでこう言わせています。「お酒って良いものだな」

お酒は生き方に深く関わっているため、文章に「酒」が出てくると読み手は想像力が増し行間に何事かを感じます。ただ、今回は二人とも正しいようで間違っていますね。

まず司馬さん。神様はお酒に飲まれる人もつくっています。次に吉村さん。お酒は飲みすぎると良くないものですね。そんな感じです。決して体験から言っている訳ではありませんが。

「次は八戸」と車内放送がありました。八戸は有名な町ですが、実は近くに七戸も二戸もあります。一から十まであるのでしょうか。数字がしっかりと地名と言う文化になっています。青森の風土とその地の先人達の懐の深さを感じます。それに対して例えば西東京市。なじみのない私には地名と言うより方向と感じます。田無市とか保谷市の方が地域を感じるのですがいかがでしょうか。

今また車内放送がありました。盛岡に着きます。その次は仙台だそうです。ホームから次の駅が見える大井町線とはかなり違いますね。盛岡駅から仙台駅まで停まらずに時速300kmは涙が出るくらいありがたいのですが、東京一極集中の賜物と思うと話は複雑です。

以上はやぶさ36号7号車11番A席にて記しました。

「褒めて伸ばす? そんなものじゃありません。まずはしっかりと見てあげる。しっかりと見たうえで我慢して何かをやり切った姿があったら思いっきり褒める。褒めて伸ばすとはそういうことです」

「少しのことで良くやったね。すごいね。などと褒めていたら、底の浅い一人で何も出来ない人間になってしまいます」

ある幼稚園の先生の言葉です。さすがです。すでに名言です。参考にさせて頂きます。

この先生には娘と孫二人がいて、この三人への優しさは尋常ではありません。その指摘にも名言で返答がありました。「それは違います。私はいつも世界の全ての人の幸せを考えています」素晴らしい。さすがです。参考にさせて頂きます。

さらに最近ではAIに負けるなを子供たちへの教えに加えているそうです。グッドジョブ。時代の変化も的確に捉えています。

しかし、これら名言には問題があります。そうです。もうお分かりですね。そのある先生は私の奥さんなのです。うちの奥さんはいつの間にかひとかどの人物になっていました。やはり私などでは勝てるわけはありません。

ある幼稚園の先生の言葉です。

「私が最近気を付けているのが園児への声のかけ方。例えば片付けをなかなかやらない子に、早くやらないと遊ぶ時間がなくなるよと言うのではなく、早くやるとこんなに遊ぶ時間があるよと言うようにしている」

「そのことにどんな意味があるか分からないけどそんな言葉の使い方が大事な気がしている。誰かに教わったわけではないけど最近そんなことをしている」

なかなか奥深い名言です。子供達としっかりと向き合っているからこその思いなのでしょう。私も見習ってそんな発言を心がけようと思います。

ただ、実はこの名言には一つ問題があります。そのある先生は実は私の奥さんなのです。自分の奥さんから名言を頂くのは何と言いましょうか「微妙な感じ」です。

会社の帰り道、私だってたまには星を見ながら歩きます。冬の澄んだ空気は川崎でも星をきれいに見せてくれます。

夜空を見上げればすぐにオリオン座の三連星が目に入り、シリウス、プロキオン、ベテルギウスの三つの一等星からなる冬の大三角が星空の主役を演じています。しかし何と言っても忘れてならないのはプレアデス星団です。オリオン座の右側肩斜め上にあり、肉眼でも見えるこの輝きは古くは清少納言から「星はすばる」と言われたことで有名です。低倍率の望遠鏡があるとそこに宇宙の神秘を垣間見ることが出来ます。

何光年も経て届く一点の輝きはまるで私達に何かを伝えようとしているかの様です。そこにあるのに決して手の届くことのない夜空の輝きから、私達は神の領域の空間軸と時間軸の存在を感じます。星々は私達に人の弱さと強さを同時に教えてくれている気がします。

年始から今年は出会いの一年になる予感です。先週はFBで見つけたよと連絡が入り30年ぶりの友人に会いました。この金曜日にはやはりFBで再会し15年ぶりの友人と時間を共にしました。宇宙も人の出会いも神秘的ですね。今年はこの勢いで出会いの連続の一年にしたいと思います。星の輝きも友人の笑顔もそれに出会えるらこその人生です。

今年こそただただ前に進み、何でもやりたい事をする年にしたいですね。

本年もよろしくお願い致します。

驚きを辞書で調べると「未知のものとの出会いを知らせるといった特色をもった情緒」とあります。意味が分からず驚きです。

そんな中、未知のものと言える発想に出会いました。歴史学者磯田道史氏は著書「日本史の内幕」で歴史好きが推測してやまない、秀頼は本当に秀吉の子供か?の問いに真っ向から向き合っているのですが、その解明方法が驚きでした。つまり、秀頼が生まれる十ヶ月前に秀吉と淀殿が同じ場所にいることが二人が親子である絶対条件になります。そこを古文書から洗い出すのです。

その時期秀吉は名護屋(九州)にいたそうで、そうなると淀殿がどこにいたかで答えが決します。まさに日本史という文系学問に方程式という理系的発想を突っ込んだ考え方です。その発想に学者の知性と信念が感じられ感動すら覚えました。どんなに探しても秀頼様は実は....などと書いてある古文書などあるわけないですね。真実探求のアプローチが一つではないことを教えられました。

そして、問題の淀殿の消息ですが、その時期やはり九州にいたのでしょうか...。その先は磯田氏の日本史の内幕をお読み下さい。

今年ももう終わろうとしています。驚くほどあっという間の365日でした。来年こそ全員で驚くほど充実した年にしたいと決意を新たにしています。

皆様一年間ご愛読ありがとうございました。

素晴らしい新年をお迎え下さい。

今日は上野、大手町、堺筋本町と三つのポーターズペイント工事が着工しました。

大手町の監督さんは「昨夜から通しですよ」と笑っていました。弊社の塗装壁面を作るために頑張ってくれていたようです。綺麗な壁面が出来ていました。仕事と正面から向き合う姿はそれだけでカッコいいですね。少し感動しました。

やはり人生は冒険です。どんな事だって冒険と思い進んでいけば世の中につらい事など一つもありません。多分。

笑いの神様も大切ですね。インディージョーンズ最後の聖戦のショーンコネリー(ジョーンズ教授の父親役)の有り様は人生のバイブルにすらなり得ます。常にユーモアーを忘れない大人の男の余裕とはかくも素晴らしいものかと教えてくれます。忘れてはならない本質がそこにはあると思います。

さあ今日も笑いの神様に見守られながら冒険を続けていきましょう。

三木一草。と言っても草花の話ではありません。南北朝時代に南朝後醍醐天皇を支えて戦った四人の武将を敬意を込めてこう呼びます。

楠木正成、名和伯耆守、結城親光、千種忠顕。前三人は名前にキがつき、千種はチグサと読みます。七百年前の人々の洒落は文学的なセンスであふれています。

この四人の武将は劣勢の南朝のために奮戦するのですが、時に利あらず神戸や京都での戦いで相次いで討ち死にします。吉川英治はこの状況を小説で「三木一草皆枯れ果て」と書いています。哀愁漂う名文です。

今年は私にとって様々なことがあります。

生きていれば色々な事があります。新しい家族が出来たり、大切な人が亡くなったり、毎日が楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと様々です。

どんな時でも堂々と自分流に生きる。どうでしょうか。当たり前?でもそんな生き方を実践している人はとてもまぶしく見えます。

結果に責任を持たなければなりませんし、社会には様々な制約もあります。そもそも自分があるのかといった問題もあります。頑迷固陋もいけません。こう考えると自分流の免許皆伝は言うより難しいのかもしれません。でも、自分はあくまでも自分でしかありません。これが出来れば最高の生き方になると信じます。ただただ前に。人生はそっくりそのまま自分のものです。