五十嵐 清隆 Feed

先日、娘が幼い息子二人を両脇に抱え、重い買い物カゴを持ってスーパーのレジに必死に並んでいたそうです。長蛇の列の中長男はお菓子と駄々をこね、なぜか泣く次男。忍耐力だけが全てだったそうです。

すると今まさにレジ開始のおじいさんが振り向いて「大変だね、急いでないのでどうぞ」と順番を変わってくれたそうです。しかも、娘がレジ後買ったものを袋に入れていると、やって来て「坊やよく我慢したね」とチョコパンをくれたそうです。

全く巨大なおじいさんと言わざるを得ません。娘達がもらったものは順番やチョコパンだけではありません。何かもっと大きなものをもらった気がします。

人生の本質はこの与えるにあるのだと最近ようやく気付きました。困っている人を助ける。あとから続く人に伝える。人生の醍醐味はここにあると思います。天下国家を動かすのはそれは男子の本懐です。確かに一億人に影響を与えるのはすごいです。ですが真剣に目の前の一人と向き合うこともカッコ良いですよね。

先日ひょんなことから感謝について考えざるを得ない状況になりました。

「周りの全ての人に感謝します」。平昌五輪。日本人メダリスト全員がこの言葉を口にしていました。そこには当たり障りのない社交辞令などではない勝利への本質が隠されている気がしてなりません。

メダリストに限らず何かを成し遂げた人は言うに難い努力をしたはずです。決断をし、行動をし、頭をフル回転させ、自分を信じ、許される時間のすべてを注ぎ込んで勝利を得たはずです。その圧倒的な過程において人間力がぐっと深くなり、結果として周りの人の姿が良く見えるようになり、勝利の瞬間に感謝の気持ちが自然と沸き起こって来たのではないでしょうか。ライバルにさへ心から感謝する選手がいて感動しましたが、そう考えると納得がいきます。

これが正しいなら、助言としてよく言う「人に感謝しなさい」は「人に感謝出来る人になれるほど努力しなさい」が正しい気がします。

日曜日の午後。人を待っています。3名の大切な友です。友あり遠方より来たる。西の海の方からバスと電車を乗り継いでやって来ます。

生きる事を焦ってはいけませんね。待つことも楽しみましょう。待つ時間も大切な人生の一コマです。1日24時間の全てを楽しみたいものです。

中学の修学旅行で奈良の薬師寺に行きました。「3分間を精一杯に生きなさい」その時の高僧のご説教です。人は24時間頑張り続けることは出来ませんね。それを3分に分け気付いたら24時間全力を尽くしていました、そんな風を目指せといった意味なのだろうと当時私は思いました。

バブルの頃に時任三郎が歌っていました。24時間戦えますか。それが当時のサラリーマンのファイティングスピリットだったのでしょう。しかし時代は移りました。生産性を上げ戦うべき24時間を8時間に凝縮する。そして、充実の余暇を過ごす。これが現代のビジネスパーソンの流儀ですね。やりましょう。3分間脇目も振らずに8時間。おのずと24時間は8時間に凝縮されます。これこそが私達NENGOの心意気です。多分24時間戦うよりはるかに意味のあることだと思います。

今回は恐ろしい話から。

ある男が訳あってある家に身を寄せていましたが、体調がすぐれず身体が弱っていきます。どうも食事にわずかな毒が入れられているらしいのです。食べると毒で衰弱し食べないと空腹で衰弱する。どうにもならない情況です。

もう何十年も前に読んだ里見八犬伝の恐ろしいエピソードです。全体の内容は忘れましたが、このエピソードだけ戦慄と共に覚えています。

ところで現代の我々の食事や住まいはどうでしょうか。実はこの話に似た状況であるような事はないでしょうか。例えばビニールクロスに包まれた住宅はよく考えてみるとどうでしょうか。

私たちポーターズペイントは自然由来の様々なテクスチャーが出せる材料を世界最多の16色の顔料で色付けする美しいペイントです。

壁に色をつける装飾ではありません。壁に質感を与える仕上げです。空間に温かさと安らぎを与えるペイントです。空間が呼吸を始めます。

「そこに住まう人々を幸せにしたい」私たちポーターズペイントの願いです。

東京から富士山を見るとその手前に丹沢の山々が連なります。その丹沢を見ると私は決まって「詠み人知らず」という言葉を思い出します。

詠み人知らず。

数ある日本語の中でも最もロマンチックな言葉ではないでしょうか。「奈良、平安時代の和歌で作者不明のもの」といった意味と思いますが、ここでは大きく変えて遥かな日本の歴史の中で名も知れない人々が一生懸命に生き、そしてその子孫が私達だという意味で考えて下さい。少し無理がありますでしょうか。

連綿と続く人々の営みとそれを見てきた山や河、青空、雲、夕陽。これは千年をこえる昔から、そして未来永劫も続くものです。

その一方で人は祖先は会ったことがあっても二代前の祖父母までが一般的です。父母にしても若い時のことは想像の領域です。

その想像するしかない永遠の時の流れの中で後から続く後輩たちに、例え詠み人知らずであっても何かを残すことが出来るでしょうか。

その何かを創り出すために毎日があるのだと心に定めやって行こうと思います。

本年もよろしくお願い致します。

気が付いたら今年も残すところ2週間しかありません。今年の11,12月は例年になく忙しく毎日が必死だったせいか年末感がありません。もう一山越えて良い新年を迎えたいと思います。

思い返すと1年色々な事がありましたが、ここに来て周りの人のハッとするような素晴らしい人間性に接することが重なりました。思わぬ瞬間に人の素晴らしさが改めて感じられています。

例えば社内ではたいがいの人より私は年齢が上ですが、そんな事関係なく皆から学ぶべき事がとても多いなと感じています。

来年はそんな皆とより良い年にし、さらに周りの全ての人を幸せに出来るよう頑張ります。多分来年もまたあっと言う間の1年だと思いますが、今年の反省を踏まえ1日1日、1歩1歩を大切にし常に全力を尽くす1年にしたいと思います。

始めに言葉ありき。聖書にある深淵なる教えです。

これまで人並に読書をしたつもりですが、言葉と言葉を発する事の重要性についてはほぼ考えずに来てしまいました。その結果なのか瞬時の会話が下手になってしまい、人を引き付ける会話どころか、しっかり伝える、ごまかす、笑わせるなどとても難しいなと思います。時に自分にがっかりさえします。

いつだったか元ボクシングの世界チャンピオン輪島功一さんに、何事かを成し遂げたいなら勇気こそが大事だと教えられましたが、人を勇気づけるのも、人から勇気付けられるのも、自分自身を鼓舞して勇気を持つのも言葉無くしてはあり得ませんね。

周りの人のためになる良い言葉を上手に発したいものです。

下の詩は最近娘に教えてもらったものです。有名な詩らしいのでご存知かもしれませんが、このような言葉はいかがでしょうか。元気が出ると良いです。

「心に太陽を持て」

心に太陽を持て

あらしがふこうと、

ふぶきがこようと

天には黒くも、

地には争いが絶えなかろうと、

いつも心に太陽を持て。

くちびるに歌をもて

軽くほがらかに。

自分のつとめ、

自分の暮らしに

よしや苦労が絶えなかろうと、

いつも、唇に歌をもて。

苦しんでいる人、

悩んでいる人には、

こう、はげましてやろう。

「勇気を失うな。

 くちびるに歌を持て。

  心に太陽を持て。」

        ドイツ詩人 フライシュレン

土曜日、台風が接近する二子玉川109シネマにいます。映画ダンケルクの上映60分前です。この待ち時間でブログ書ききれますでしょうか。

雨にも負けず風にも負けず、そういう者に私はなりたい。

あまりにも有名すぎてすでに何気ない言葉にすらなっています。ところが、先日NHKドラマでこの台詞を語るシーンがあり、改めて噛み締めてみると示唆に富んだ衝撃的な言葉であることに気づいてしまいました。つまり自分が何物にもなっていない事にハタと気付いてしまったわけです。すでに半世紀も生きて来たにも関わらずです。

福山雅治は「波風一つ立たない人生なんてない」と歌い上げ、ナポレオンは「英雄とは人生のあらゆる困難を乗り越えた者のことだ」と看破しています。

生きていれば様々な事が起こります。どんな時でも雨にも風にも負けず周りの人を幸せに出来たらどんなに素晴らしいでしょう。たとえ幸せに出来なくても、そんな勇姿を見せることが出来たなら、周りの皆に勇気を分け与える事が出来るかもしれません。

でもなかなか難しいですね。右往左往の毎日が人生のような気もします。とはいえ大きな声では言えませんが、まだまだ諦めたわけでもありません。

そろそろ映画の時間です。入場のアナウンスが流れています。初IMAX大画面です。ダンケルク楽しみです。それではこの辺で。

映画関ケ原を見ました。日本史最大の戦いをうまくまとめていて見応えのある映画でした。

映画にはなかったのですが、原作の司馬遼太郎の関ケ原からエピソードを一つ。

ご存知の通り関ケ原の戦いは小早川秀秋の裏切りで東軍の勝利に終わります。実はその小早川軍の中でただ一人だけ「そんなバカな」と裏切りに加担しなかった武将がいました。大野主馬。小早川家59万石の内で1万石を領していたそうです。

大野の陣に駆け込み下馬し秀秋の命令を伝える伝令将校と驚き拒絶する大野主馬とのやり取りは利害、正義、命運と様々なものを天秤にかけその場で瞬時に決断しなければならない土壇場のやり取りです。生と死が眼前に広がる戦場で思ってもいなかった状況が発生し、しかも全体の流れに抗い自身の考えを貫き通すなど並大抵の精神力ではありません。だからこそ現代の私たちから見てこういった行動が美しいと思えるのでしょうか。

先人たちの必死の物語が歴史をさらに奥深いもの、興味深いもの、そして時に滑稽なものにしていると思います。

司馬風に言うと「たった一人だけでも裏切りに従わなかった者がいた事は、歴史という巨大な人間物語の中で後世の我々の大きな救いになっている気がする」でしょうか。

雲がでれば豪雨。太陽がでれば灼熱。大変な毎日ですが、天候に負ける事なくより良く毎日を生きたいものですね。

そこで仁智礼義信。孔子の唱えた人が生きる上での5つの徳目です。

仁:人道の根本。他を思いやり、おのれに打ち勝つ心。

智:物事を知りわける能力。

礼:社会の秩序を維持するための人のふむべき道。作法。

義:人として当然なすべき正しい道。正義や公共のためにつくすこと。

信:うそを言わない事。言行の一致する事。相手、自分を信じて疑わない事。

(旺文社 国語辞典より)

この中で一番大切なのは正義の義でしょうか。

信は自分の行いだけでなく、相手を信じる事も意味するんですね。

こうやって改めて整理してもらえると、するべき事が見えて来る気がします。

孔子は紀元前の人で、約2600年前に生きた人です。物事の本質は千年をはるかに超えても少しも変わらないのですね。