五十嵐 清隆 Feed

今日は上野、大手町、堺筋本町と三つのポーターズペイント工事が着工しました。

大手町の監督さんは「昨夜から通しですよ」と笑っていました。弊社の塗装壁面を作るために頑張ってくれていたようです。綺麗な壁面が出来ていました。仕事と正面から向き合う姿はそれだけでカッコいいですね。少し感動しました。

やはり人生は冒険です。どんな事だって冒険と思い進んでいけば世の中につらい事など一つもありません。多分。

笑いの神様も大切ですね。インディージョーンズ最後の聖戦のショーンコネリー(ジョーンズ教授の父親役)の有り様は人生のバイブルにすらなり得ます。常にユーモアーを忘れない大人の男の余裕とはかくも素晴らしいものかと教えてくれます。忘れてはならない本質がそこにはあると思います。

さあ今日も笑いの神様に見守られながら冒険を続けていきましょう。

三木一草。と言っても草花の話ではありません。南北朝時代に南朝後醍醐天皇を支えて戦った四人の武将を敬意を込めてこう呼びます。

楠木正成、名和伯耆守、結城親光、千種忠顕。前三人は名前にキがつき、千種はチグサと読みます。七百年前の人々の洒落は文学的なセンスであふれています。

この四人の武将は劣勢の南朝のために奮戦するのですが、時に利あらず神戸や京都での戦いで相次いで討ち死にします。吉川英治はこの状況を小説で「三木一草皆枯れ果て」と書いています。哀愁漂う名文です。

今年は私にとって様々なことがあります。

生きていれば色々な事があります。新しい家族が出来たり、大切な人が亡くなったり、毎日が楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと様々です。

どんな時でも堂々と自分流に生きる。どうでしょうか。当たり前?でもそんな生き方を実践している人はとてもまぶしく見えます。

結果に責任を持たなければなりませんし、社会には様々な制約もあります。そもそも自分があるのかといった問題もあります。頑迷固陋もいけません。こう考えると自分流の免許皆伝は言うより難しいのかもしれません。でも、自分はあくまでも自分でしかありません。これが出来れば最高の生き方になると信じます。ただただ前に。人生はそっくりそのまま自分のものです。

驚くほどの速さで秋がやって来ました。
わずかな肌寒さが気持ちよく感じられますが、あの夏の暑さはどこに行ってしまったのでしょうか。歳月人を待たず。世の中で唯一確かなことは時の移ろいなのだと感じます。
そんな中、こんな文章に出会いました。
「あなたは人生において、なにで有名になりたいですか」
新聞のコラムがドラッカーを引用していたのですが、弓をギリギリと絞りマトのど真ん中にズドンと命中させたようなケレン味のない言葉です。チコちゃんではありませんが「ボーっといきてるんじゃないよ!」ということですね。
盛年重ねてきたらず。時に及んでまさに勉励すべし。なにで有名になりたいか。人生の折り返しをとうに過ぎた私ですが、今更ですが秋の夜長じっくりと考えたいと思います。いや、実際もうそろそろ考えるのやめて行動なのでは。はい分かっております。

夜空を見上げると満月と雲の流れが高く草むらでは虫の声が聞えます。すっかり秋の気配と言いたいところですが気温と湿度は真夏のままで、心と体感のずれは何と表現すればよいのかちょっとわかりません。
多分これまで我々日本人が体験したことのない状況です。そんな気候を表す言葉を我々はまだ持ちませんね。新語を作るしかありません。
そんなこの頃ですが、今朝の天声人語の冒頭は衝撃的でした。
「芸術は爆発だという名言で知られる故岡本太郎は20代をパリで過ごした。帰国後「わび・さび」を基調とする日本の伝統美に幻滅する。自国文化から彼を救い出したのは縄文土器だった」
わびさびは日本人の誇る感性で、これこそが日本人の根底に流れる精神の美しさと私は信じてきました。それに幻滅し、しかも土器に救い出されたなどとはいくら岡本太郎さんと言えど驚きです。
朝30秒考えた末に、様々な意見があって然るべき。これぞ10年前にはやったパラダイムシフトか。だから人生は面白い。と私なりの結論に達しました。岡本太郎さんありがとうございます。
しかし本当は爆発にわびさびを融合させた芸術を見せてくれたのならもっと良かったのではと考えがまとまらずです。

ノルウエーの最北は北極圏に入るそうですが、その地の気温がついに33度に達したそうです。私達のここ100年の営みが気候をおかしくしている事はどうも間違いなさそうです。
地球における人の立場は人におけるガン細胞の位置と同じだと何かで読みました。つまり、自分が繁栄し増殖することを原因として本体が破滅しその結果自己も滅亡するという事です。大いなる矛盾と言えます。
では人はなぜ地球上に出現したのでしょう。人は全て地球上にある物質で出来ています。身体のどこかだけ惑星Xの物質で出来ている事はあり得ません。つまり人は地球の一部なのです。もうお分かりですね。そう地球は自らが何者であるかを知るために自己を考える装置として人を創り出したのです(とこれも何かに書いてありました)。
考える装置(=コンピューター)が暴走する。まるでターミネーターです。すでに人はあの骸骨ロボットと大差ないのかもしれません。
いずれにしろこれからは観測史上初が連発されるのでしょう。このままでは80年後は四季が二季になるそうです。見知らぬ明日の始まりです。この流れを止める方法を私たちは見つける事が出来るのでしょうか。
話をぐっと身近にするしかありません。まずは栄養と睡眠。何かあったらすぐ逃げる。この三つが肝心ですね。家の断熱も欠かせません。その上でこれから起きるあらゆる事をしっかりと見届けたいものです。

ワールドカップ。ケースケホンダ、さすがです。激戦に目が離せません。でもワールドカップが終わったらたまには海をみに行くのはどうでしょうか。

青い海と空。白い砂浜。遥か水平線には決して手が届くことはありません。海を前にするとその無限すら感じる広大な空間は私達が地球のほんの一部でしかない事を実感させてくれます。

昔行ったハワイでホテルの10階から見下ろしたワイキキの海はあまりの美しさで衝撃的ですらありました。

しかし、なぜ海はそれを見る私達に特別な感情をもたらすのでしょうか。

たしか北杜夫さんがエッセイでこんな事を書いていました。

「海を前にした時に湧き上がる感情は、遠い昔に我々の祖先が海から上がってきた事と無縁ではない。そして、海の深さはそのまま我々の心の深さと一緒である。」

さあ、夏がやってきます。外に出ましょう。青い海が待っています。

先日、娘が幼い息子二人を両脇に抱え、重い買い物カゴを持ってスーパーのレジに必死に並んでいたそうです。長蛇の列の中長男はお菓子と駄々をこね、なぜか泣く次男。忍耐力だけが全てだったそうです。

すると今まさにレジ開始のおじいさんが振り向いて「大変だね、急いでないのでどうぞ」と順番を変わってくれたそうです。しかも、娘がレジ後買ったものを袋に入れていると、やって来て「坊やよく我慢したね」とチョコパンをくれたそうです。

全く巨大なおじいさんと言わざるを得ません。娘達がもらったものは順番やチョコパンだけではありません。何かもっと大きなものをもらった気がします。

人生の本質はこの与えるにあるのだと最近ようやく気付きました。困っている人を助ける。あとから続く人に伝える。人生の醍醐味はここにあると思います。天下国家を動かすのはそれは男子の本懐です。確かに一億人に影響を与えるのはすごいです。ですが真剣に目の前の一人と向き合うこともカッコ良いですよね。

先日ひょんなことから感謝について考えざるを得ない状況になりました。

「周りの全ての人に感謝します」。平昌五輪。日本人メダリスト全員がこの言葉を口にしていました。そこには当たり障りのない社交辞令などではない勝利への本質が隠されている気がしてなりません。

メダリストに限らず何かを成し遂げた人は言うに難い努力をしたはずです。決断をし、行動をし、頭をフル回転させ、自分を信じ、許される時間のすべてを注ぎ込んで勝利を得たはずです。その圧倒的な過程において人間力がぐっと深くなり、結果として周りの人の姿が良く見えるようになり、勝利の瞬間に感謝の気持ちが自然と沸き起こって来たのではないでしょうか。ライバルにさへ心から感謝する選手がいて感動しましたが、そう考えると納得がいきます。

これが正しいなら、助言としてよく言う「人に感謝しなさい」は「人に感謝出来る人になれるほど努力しなさい」が正しい気がします。

日曜日の午後。人を待っています。3名の大切な友です。友あり遠方より来たる。西の海の方からバスと電車を乗り継いでやって来ます。

生きる事を焦ってはいけませんね。待つことも楽しみましょう。待つ時間も大切な人生の一コマです。1日24時間の全てを楽しみたいものです。

中学の修学旅行で奈良の薬師寺に行きました。「3分間を精一杯に生きなさい」その時の高僧のご説教です。人は24時間頑張り続けることは出来ませんね。それを3分に分け気付いたら24時間全力を尽くしていました、そんな風を目指せといった意味なのだろうと当時私は思いました。

バブルの頃に時任三郎が歌っていました。24時間戦えますか。それが当時のサラリーマンのファイティングスピリットだったのでしょう。しかし時代は移りました。生産性を上げ戦うべき24時間を8時間に凝縮する。そして、充実の余暇を過ごす。これが現代のビジネスパーソンの流儀ですね。やりましょう。3分間脇目も振らずに8時間。おのずと24時間は8時間に凝縮されます。これこそが私達NENGOの心意気です。多分24時間戦うよりはるかに意味のあることだと思います。

今回は恐ろしい話から。

ある男が訳あってある家に身を寄せていましたが、体調がすぐれず身体が弱っていきます。どうも食事にわずかな毒が入れられているらしいのです。食べると毒で衰弱し食べないと空腹で衰弱する。どうにもならない情況です。

もう何十年も前に読んだ里見八犬伝の恐ろしいエピソードです。全体の内容は忘れましたが、このエピソードだけ戦慄と共に覚えています。

ところで現代の我々の食事や住まいはどうでしょうか。実はこの話に似た状況であるような事はないでしょうか。例えばビニールクロスに包まれた住宅はよく考えてみるとどうでしょうか。

私たちポーターズペイントは自然由来の様々なテクスチャーが出せる材料を世界最多の16色の顔料で色付けする美しいペイントです。

壁に色をつける装飾ではありません。壁に質感を与える仕上げです。空間に温かさと安らぎを与えるペイントです。空間が呼吸を始めます。

「そこに住まう人々を幸せにしたい」私たちポーターズペイントの願いです。