五十嵐 清隆 Feed

東京では春の近さを感じるようになりました。木々の新芽に生命の躍動を知ります。

ただ一方、強い寒気の影響で北日本は大荒れの天候だったようです。台風並みの強い低気圧が発生したと気象庁の発表ですが、平たく考えると海水温の高さが巨大台風を作り出すと騒がれている昨今、冬の寒さになぜ台風のようなモノが来るのかメカニズムは複雑です。嵐が来る原因は一つではないということなのでしょう。世の中と同じです。地球上で起こる不可思議はそれが何であれ私などの想像を軽く超えるようです。

実はペイントや漆喰の施工にも適切な環境があります。気温5度以上。湿度80%以下が良いと言われています。あまりに寒いと乾く前に凍ってしまうなどと言われますが、これは余ほど寒い時なのでしょう。

先日大宮で夜間の外壁ペイント工事がありました。寒い中施工スタッフの皆さんに申し訳ないなと思っていましたが、ひょっとして気温は5度以下?と気付きヒヤッとしました。状況確認に事前に現調に行きこのくらいの寒さなら大丈夫と安心しましたが、施工初日は今年一番の寒さで風も強く大変でした。幸いにもペイントに問題はなく綺麗に仕上がりました。ホッとしました。ありがとうございます。

春が来ればこんな心配もなくなります。でも北国の人たちが春を待つ思いはこんなものではないのでしょう。先日の新聞に柳田国男の雪国の春の一文がありました。

「嵐、吹雪の永い淋しい冬籠りは、ほとほと過ぎ去った花のころを忘れしめるばかり。ようやくに迎ええたる若春の喜びは、南の人のすぐれたる空想をさえも超越する」

もう一つ新島襄の寒梅から

「庭上の一寒梅 笑んで風雪を侵して開く 争わず また力(つとめ)づ 自ずから百花の魁を占む」

何という名文でしょうか。

春を待つ。これだけで詩情が湧きます。でも冬の寒さはそれはそれで良いものです。冬があるから春のありがたみが増すと思えば全て良しです。

冬のように自分に厳しく、春のように人に温かく、夏のように行動は熱く、秋のように人の気持ちに寄り添う。

こんな自分を夢見てさあ今日も自転車で晩冬の風を切って進みましょう。

最近9時半を過ぎると気付くと寝ています。そしてお目覚めは4時半。まだ夜明け前。辺りは暗く街はまだ静寂に包まれています。この時刻は多分暁と呼ばれる時間帯です。冬眠暁に目覚める。本来なら春眠暁を覚えずですね。せめて6時までは熟睡したいものです。困りました。

一方夜はドラマ通の私が10時のドラマにたどり着けません。これも困ります。日本ドラマ界の損失です。

暁、曙、東雲、黎明、白日、黄昏、逢魔時など日本語には数多くの時間帯を指す言葉があります。どれも美しい響きです。古の人々の息づかいが聞こえるようです。

ところで今年に入って早々にコロナ3波でまたもや在宅勤務に切り替わりました。昨年来乾燥する冬に向けて経済シフトにアクセルを踏めばこうなると誰もが気付いていたことです。政府は予想を超えたと言っているので、私達の政府は随分と楽観的な人達が集まっているのだなと感心してしまいます。

さて、では自分はこれからどうするのか。こちらを本題にせざるを得ませんね。

歴史上ウイルス感染は歴史を変えて人類を進歩させているそうです。もちろん喜べる状況ではありませんが折角ですので自分も進化するしかありません。幸い仕事もプライベートも変化の余地は有り余っています。

問題はあるべき自分と今ある自分の差を埋めるために今するべきことを知りつつ、そこに辿り着くことすら出来ていない自分にあります。これはコロナは関係なくいつでも自分の前に横たわっている現実で、コロナがそんな怠惰な自分の姿を炙り出しているかのようです。このことに触発されて変わって行くことが出来るなら、これが私レベルでの感染症下の進化の加速と言えるのでしょうか。

黎明は夜明けの時刻を指します。とても綺麗な言葉です。地平から光が差し込んで来る景色がイメージされます。コロナ禍はまだ続いたとしても自分次第で脱コロナの黎明は迎えられるに違いありません。

今年年末にはまた違った味のある自分になることを目指したいものです。本年もよろしくお願い致します。

2020年も12月25日まで来ました。

色々ありましたね。濃い一年でした。楽しい毎日ではありましたが少々疲れました。全体的に忙しく次々と起こることをこなすことだけで脳がオーバーヒートを起こしそうな毎日でした。

明日から休みになります。今年残りの数日は和室で竹林を眺めながら抹茶と和菓子をゆっくりと食するような日々を過ごしたい、そんな気分です。除夜の鐘も雪がうっすら積もる永平寺の鐘の音を心静かに聞きたいところです。

がらっと変わりますが素晴らしい新年を迎えるにあたって、ここは私の好きな陶淵明の漢詩で今年を締めくくるしかありませんね。来年に向けての意気込みでもあります。

「人生根蔕無く飄として陌上の塵の如し 

盛年重ねて来たらず 一日再び晨なり難し

時に及んで当に勉励すべし

歳月人を待たず」

以下は私の意訳です。人生にはしっかりとした根などなく風が吹くと飛んで行ってしまう道端の塵のようなものだ。何かを成し遂げられる時期は長いものではない。一日に朝が二度来ないのと同じように。だからこそ時に及んでまさに勉励すべし。歳月は人を待ってはくれない。

名文中の名文ですが、ここで大事なことは勉励すべしは実は楽しめと言っているのです。もちろん人生を楽しむためには時に勉め励むことは必要です。そんな意味も含まれているのでしょう。陶淵明は今から1600年前の人ですがそんな大昔の人も良く生きることについて今の人以上に考えているのですね。

今夜は孫が遊びに来ます。ゆっくりとした夜には多分なりませんが楽しいことには違いありません。孫と風呂に入り一年の垢を落としすっきりとして年の瀬を迎えたいと思います。

皆様一年間ご愛読ありがとうございました。

新年が皆様にとって素晴らしいものになりますように。

初冬に入り年も押し迫ってきたにもかかわらず、どうした訳か忙しくなってきました。こんな時は焦らず常に原点に帰らなければなりませんね。しかし気分は忙中閑なし。このため今月のブログはお休みになります。毎月私のブログを楽しみにしてくれている全国100万読者の皆様大変申し訳ありません。と言いましてもただ単にお休みは本意ではありません。そこで本日終わったNHK朝ドラエールから感動のセリフを一つ。

「やらないで後悔するより、やって後悔する方が良い。例えやっても状況は何も変わらないかもしれない。でもやれば必ずあなた自身が変わります」

さあ今年もあと1カ月。追い込みです。ダメで元々。ドンといきましょう。

ドラマ通の私には常に良いドラマが放送されていないか見張っていないといけない責務があります。厳しい道のりです。

ドラマを本気で見始めたのは小学生の時の18時から30分間の「奥様は魔女」か夕方学校から帰るとやっていた「水戸黄門」だった気がします。

私は水戸黄門には縁があり小学校通学時に緑が丘商店街を歩いていると向こうから2代目水戸黄門西村晃さんが歩いてきて何回もすれ違いました(今思えばただの似ている人の可能性も無い訳ではありませんが)。子供心にこんなこともあるのだなと思ったものです。これは今まで誰にも言ったことのないお話でこれを知った皆さんはかなりラッキーと言えます。この俳優との出会いが私がドラマに目覚めるきっかけだったかもしれません。人生わからないものです。

今期のドラマ一斉に始まりましたがやはり朝ドラ「エール」良いですね。今朝などは熱いものがこみ上げてしまい、出勤の用意をしている家人の横で涙を見られないようにするので朝から大変でした。朝ドラはBSで7時半から放送していて通勤時間10分の私にはギリ見ることが出来る訳です。脚本家は朝からなぜこんな物語を考えることができるのかと感心していましたが、よく考えると見るこちらが朝なだけでした。

今日のエールでは高校野球の歌「栄冠は君に輝く」を改めて聞きましたが、しっかり聞くと感動的な歌詞でした。しっかり聞くとよい歌詞の歌は実は結構あるもので水戸黄門の主題歌もなかなかのものです。よろしければお読みください。

人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る 歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて

人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く 後からきたのに追い越され 泣くのが嫌ならさあ歩け

人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ 何にもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ