五十嵐 清隆 Feed

夜空を見上げると満月と雲の流れが高く草むらでは虫の声が聞えます。すっかり秋の気配と言いたいところですが気温と湿度は真夏のままで、心と体感のずれは何と表現すればよいのかちょっとわかりません。
多分これまで我々日本人が体験したことのない状況です。そんな気候を表す言葉を我々はまだ持ちませんね。新語を作るしかありません。
そんなこの頃ですが、今朝の天声人語の冒頭は衝撃的でした。
「芸術は爆発だという名言で知られる故岡本太郎は20代をパリで過ごした。帰国後「わび・さび」を基調とする日本の伝統美に幻滅する。自国文化から彼を救い出したのは縄文土器だった」
わびさびは日本人の誇る感性で、これこそが日本人の根底に流れる精神の美しさと私は信じてきました。それに幻滅し、しかも土器に救い出されたなどとはいくら岡本太郎さんと言えど驚きです。
朝30秒考えた末に、様々な意見があって然るべき。これぞ10年前にはやったパラダイムシフトか。だから人生は面白い。と私なりの結論に達しました。岡本太郎さんありがとうございます。
しかし本当は爆発にわびさびを融合させた芸術を見せてくれたのならもっと良かったのではと考えがまとまらずです。

ノルウエーの最北は北極圏に入るそうですが、その地の気温がついに33度に達したそうです。私達のここ100年の営みが気候をおかしくしている事はどうも間違いなさそうです。
地球における人の立場は人におけるガン細胞の位置と同じだと何かで読みました。つまり、自分が繁栄し増殖することを原因として本体が破滅しその結果自己も滅亡するという事です。大いなる矛盾と言えます。
では人はなぜ地球上に出現したのでしょう。人は全て地球上にある物質で出来ています。身体のどこかだけ惑星Xの物質で出来ている事はあり得ません。つまり人は地球の一部なのです。もうお分かりですね。そう地球は自らが何者であるかを知るために自己を考える装置として人を創り出したのです(とこれも何かに書いてありました)。
考える装置(=コンピューター)が暴走する。まるでターミネーターです。すでに人はあの骸骨ロボットと大差ないのかもしれません。
いずれにしろこれからは観測史上初が連発されるのでしょう。このままでは80年後は四季が二季になるそうです。見知らぬ明日の始まりです。この流れを止める方法を私たちは見つける事が出来るのでしょうか。
話をぐっと身近にするしかありません。まずは栄養と睡眠。何かあったらすぐ逃げる。この三つが肝心ですね。家の断熱も欠かせません。その上でこれから起きるあらゆる事をしっかりと見届けたいものです。

ワールドカップ。ケースケホンダ、さすがです。激戦に目が離せません。でもワールドカップが終わったらたまには海をみに行くのはどうでしょうか。

青い海と空。白い砂浜。遥か水平線には決して手が届くことはありません。海を前にするとその無限すら感じる広大な空間は私達が地球のほんの一部でしかない事を実感させてくれます。

昔行ったハワイでホテルの10階から見下ろしたワイキキの海はあまりの美しさで衝撃的ですらありました。

しかし、なぜ海はそれを見る私達に特別な感情をもたらすのでしょうか。

たしか北杜夫さんがエッセイでこんな事を書いていました。

「海を前にした時に湧き上がる感情は、遠い昔に我々の祖先が海から上がってきた事と無縁ではない。そして、海の深さはそのまま我々の心の深さと一緒である。」

さあ、夏がやってきます。外に出ましょう。青い海が待っています。

先日、娘が幼い息子二人を両脇に抱え、重い買い物カゴを持ってスーパーのレジに必死に並んでいたそうです。長蛇の列の中長男はお菓子と駄々をこね、なぜか泣く次男。忍耐力だけが全てだったそうです。

すると今まさにレジ開始のおじいさんが振り向いて「大変だね、急いでないのでどうぞ」と順番を変わってくれたそうです。しかも、娘がレジ後買ったものを袋に入れていると、やって来て「坊やよく我慢したね」とチョコパンをくれたそうです。

全く巨大なおじいさんと言わざるを得ません。娘達がもらったものは順番やチョコパンだけではありません。何かもっと大きなものをもらった気がします。

人生の本質はこの与えるにあるのだと最近ようやく気付きました。困っている人を助ける。あとから続く人に伝える。人生の醍醐味はここにあると思います。天下国家を動かすのはそれは男子の本懐です。確かに一億人に影響を与えるのはすごいです。ですが真剣に目の前の一人と向き合うこともカッコ良いですよね。

先日ひょんなことから感謝について考えざるを得ない状況になりました。

「周りの全ての人に感謝します」。平昌五輪。日本人メダリスト全員がこの言葉を口にしていました。そこには当たり障りのない社交辞令などではない勝利への本質が隠されている気がしてなりません。

メダリストに限らず何かを成し遂げた人は言うに難い努力をしたはずです。決断をし、行動をし、頭をフル回転させ、自分を信じ、許される時間のすべてを注ぎ込んで勝利を得たはずです。その圧倒的な過程において人間力がぐっと深くなり、結果として周りの人の姿が良く見えるようになり、勝利の瞬間に感謝の気持ちが自然と沸き起こって来たのではないでしょうか。ライバルにさへ心から感謝する選手がいて感動しましたが、そう考えると納得がいきます。

これが正しいなら、助言としてよく言う「人に感謝しなさい」は「人に感謝出来る人になれるほど努力しなさい」が正しい気がします。