歴史的お墨付きの地に住まう

Buongiorno!皆様こんにちは。中川です。
私たち株式会社NENGOのミッションには”気候、風土、歴史、文化を活かし...”とあります。
6回目の今回は歴史についてお話します。

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※出展元
国立国会図書館デジタルコレクション
江戸切絵図目黒白金周辺図

1枚目の地図は、皆様おなじみのgoogle mapで見た現在募集中の目黒コーポラティブハウス計画地の周辺です。

対する2枚目の地図は1枚目と同じ範囲、同じスケールに調整した江戸切絵図目黒白金近辺図(安政四年(1857))です。
この2枚を見比べると江戸時代目黒の地には武家屋敷・下屋敷がたくさんあったことが分かります。
(切絵図では藩名・家名の上部につく印が家紋なら上屋敷、■なら中屋敷、●なら下屋敷と示されています。)


江戸時代に諸大名が権力を持つことを恐れた徳川家光は、参勤交代制度によって諸大名を一年おきに江戸と自領を行き来させることで、経済力の抑制を図りました。
このための住まいとして江戸各地に作られたのが武家屋敷で、大きく上屋敷・中屋敷・下屋敷の三種類がありました。
上屋敷とは主に政務を取り訓練・稽古をする空間とその妻子の居住空間を持った屋敷で、
急事に備えて江戸城の周囲に配置されました。
中屋敷とはその一族の隠居した主や跡継ぎの住まう屋敷でした。

そして下屋敷は人を招いたり権力を誇示する為の、特に財力のある大名しか持つことのできない特別なもので、茶室や豪華な庭園、そして能舞台まで備えたものも多くありました。
また、日本庭園には”借景”という重要な造園技法があり、その”借りる”景色を確保するためにも見晴らしの良い高台などの土地は評価の高いものでした。

つまり、目黒コーポラティブハウスの計画地は古くから景色にお墨付きのついた地にあるということ。
そんな立地だけでも気候・風土・歴史・文化の恩恵を感じられる目黒コーポラティブハウス…(諸国大名もうらやむ...)
今後の動向もどうぞお楽しみに。

~目黒コーポラティブハウス~
残り2戸、継続募集中。
http://nengo-cp.jp/project/meguro/index.html