近江国巡り

先日、和菓子を買いに町に出ました。百貨店でいくつかのお店をまわったのですが、どうも和菓子は滋賀県のお店が多いことに気付きました。

「なぜなんでしょう」とその一店でたずねたところ「滋賀県は京都に近いですし、北陸への便も良いからでしょう」とお話しを頂きました。もっと言えば名古屋にも近いですね。そう考えると滋賀県は歴史的に地の利この上ない土地柄と言えそうです。

禄兵衛という和菓子は滋賀の長浜発祥だそうです。

長浜と言えば織田信長が浅井長政と度重なる合戦を繰り広げた時に、その戦功で領主となった羽柴秀吉が城を築いた土地です。元は今浜と呼ばれていた地名に信長の長をもらい長浜と改名した秀吉ゆかりの地です。

その後清洲会議で長浜城の城主は柴田勝家の甥柴田勝豊に代わります。会議で城主が変わるなど戦国唯一の例でしょう。

滋賀県には数多くの城があります。長浜城の近くには佐和山城があります。あの石田三成の居城です。佐和山城は実戦向けの巨大な城だったそうですが、関ヶ原の戦いの後に東軍の総攻撃を受け落城します。石田三成ファンの私としては残念でなりません。

関ヶ原の戦いの後にこの一帯を治めたのが徳川の重臣井伊直政で、その居城として新しく作られた彦根城は廃城となった長浜城や佐和山城の石材や木材を使って作られたそうです。

徳川幕府の譜代の重鎮として井伊藩は幕末まで続きますが、井伊家15代の大老井伊直弼はいよいよ混乱する幕末の情勢の中で幕権復活を期し反幕勢力を厳しく取り締まります。世に言う安政の大獄です。そして、その反動であの有名な桜田門外の変が起こり直弼は倒れます。

その後幕末の沸点鳥羽伏見の戦いでは、井伊彦根藩は幕府軍の主力として参戦するかと思いきや寝返り薩長につくという離れ業を演じます。これには家康さんもびっくりだったことでしょう。

彦根城は現在でも当時の天守閣が残っている数少ない城で国宝にも指定されているはずです。

以上、私の津本司馬本譲りの記憶の総力を結集しました。和菓子から妄想自由自在のお話しでした。