ここではないどこかへ

朝7:15羽田空港集合。国際線ターミナルの改装工事が始まりました。仕事とはいえ空港は気分が上がります。世界と直接つながっている場所だからでしょうね。ここからならどこへでも行けます。それだけでパワースポットになりますね。

工事現場は出発ロビー。税関の向こう側です。このため簡単には現場に入れません。全ての持ち物の検査があり事前申請していない物は持ち込めません。金属探知機も通る物々しさです。私は鉄板の入った靴を履いていたのですが、試しにそのまま探知機に入ってみました。そこはさすがにGDP世界3位の経済大国の表玄関。ちゃんと機械は機能していて警報音が鳴り通過不可。空港が用意しているサンダルに履き替え通過しました。

ところで空港といえばスチュワーデスさんですね。いや今はCAと呼びますね。ちなみにロサンゼルスはLAですがアメリカ通の友人がサンフランシスコをサンフランと呼んでいました。

工事現場の前はメイン通路で旅行客はもちろんCAさんも通ります。CAさん達には共通の特徴があります。そう、皆さん背筋がピンと伸び高い目的意識を持つ感じでこれから搭乗する飛行機へカートを引いて颯爽と闊歩して行きます。職業的美意識がそうさせるのか、制服がそうさせるのか、ただの私の気のせいなのか、いずれにしろCAがカッコ良く歩くの略だと言われても納得出来ます。

窓の外には全日空と日航の飛行機が出発を待って並んでいます。その光景を見て33年前のロサンゼルス空港を思い出しました。

社会人1年目の夏休みのことです。7日も休みがあり、お金は何とかやりくりしてデンバーに1人旅をしました。アメリカに行きたい。行くならロッキー山脈の向こう側、デンバーから東に広がる大草原を見たい。レンタカーを借りて草原の真ん中で大の字になり空を見よう。目的はそれだけでした。

デンバーまでの飛行機は窓側に座れなかったのですが、デンバー空港着陸間際の上空から一瞬見えた彼方まで広がる大草原は息を飲む景観で、何も無いことは何か凄い物があることより凄いという私の仮説を証明するに充分でした。

日本語しか喋れない私がどうやってアメリカで 1週間過ごしたか遠い記憶ですが、レンタカーでドライブして確かに空を見たり、その草原には案外虫が多かったり、デンバーのダウンタウンでサングラスの金髪白人達がカッコ良すぎ何も言われてないのに自虐的人種差別で道の端ばかり歩いていたのに3日程で気付くと道の真ん中を歩いていたり、バスツアーに参加し全員が自己紹介することになり仕方なく「フロムトーキョージャパン」とだけ言ったら盛大な拍手をもらったり、レストランでバドワイザーを飲んだりしていた気がします。 1週間日本人に会わず日本と隔絶していたのは後にも先にもこの時だけです。ここで現場前での話しにつながるのですが、帰りのロサンゼルス空港の滑走路に日航と全日空の飛行機が整然とそして堂々と並んでいるのを見た時、久しぶりに日本と出会い何か嬉しくなり、その時初めて自分が日本人であることを実感し、同時に日本が世界ですでにしっかりとした地位を築いていて、もっと自信を持って自分の価値観を発信して行くべきだなどと思ったものです。

仕事の羽田空港も良いのですが「またアメリカを旅しよう」これが今回の結論です。アメリカに夢を求めて旅したあの頃の様に、もう少し心に自由と勇気を持って生きないといけない。パワースポットからそんな力を頂いた気がします。